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the pillowsの “ライブは願望だ、意味じゃない!”【第2回】1993年〜 “第二期”、1996年〜“第三期”のライブ
山中さわお(vo,g)ややこしいのが、ここには本当はふたつのストーリーがあって、“バンドを作った張本人... 山中さわお(vo,g)ややこしいのが、ここには本当はふたつのストーリーがあって、“バンドを作った張本人でリーダーでもある上田ケンジが抜ける”という話と、“たまたま自分の音楽ジャンルの嗜好がブリティッシュ・ロックからジャズとかソウルみたいなものに興味を持ち始めていた”という話はまったく別の物語で。メジャー2枚目のアルバム『WHITE INCARNATION』(1992年発売)ではちょっとジャズっぽい曲も2曲くらい入ったりしてて、グラデーションで変化しているときに、上ケンさんが抜けたっていう感じなんですね。で、バンドを解散しようかって話になったんだけど、3人でもうちょっとやろうということで、重要なキーマンになってくる鹿島達也さん、当時はSUPER BADのメンバーだった方。鹿島さんがサポートに入ってくれて、でも事実上は鹿島さんがジャズとかソウルの本物というか、その世界の人だったからオレたちは“
2024/06/25 リンク