エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
韓国人労働者の集結地だった大阪、1920年代の労働・抗日運動の拠点に
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
韓国人労働者の集結地だった大阪、1920年代の労働・抗日運動の拠点に
Posted February. 09, 2019 08:47, Updated February. 09, 2019 08:47 事実上、廉想渉(ヨム・サンソプ... Posted February. 09, 2019 08:47, Updated February. 09, 2019 08:47 事実上、廉想渉(ヨム・サンソプ)単独示威で推進された1919年の大阪3・19宣言は、亡国の思いを抱いて生きた大阪の韓国人労働者たちに民族意識を吹き込んだ。差別に苦しみ、生計のために黙々と働いた労働者たちは、廉想渉の逮捕を機に、東京の留学生たちの2・8独立宣言に続く本国での3・1万歳運動を知ることになった。労働者が力を合わせて声を出さなければならないという意識も次第に生まれた。このような覚醒は、1920年代、大阪で起こった労働運動と抗日運動につながった。 東京が韓国人留学生の中心地だったなら、大阪は韓国人労働者の集結地だった。1925年当時、大阪の韓国人労働者は3万4311人で、日本全体の韓国人労働者(13万6709人)の25.1%を占めた。(『朝鮮人現況』)