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連載:「あの人とフジロック」第2回──「ホワイトマウンテニアリング」相澤陽介の巻
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連載:「あの人とフジロック」第2回──「ホワイトマウンテニアリング」相澤陽介の巻
18歳か19歳の浪人生だったとき、立川のCD屋さんに貼ってあった第1回「フジロック」のポスターを見たのが... 18歳か19歳の浪人生だったとき、立川のCD屋さんに貼ってあった第1回「フジロック」のポスターを見たのがきっかけかな、たしか。 「グラストンベリー」や「ロラパルーザ」のような海外フェスをVHSで繰り返し見ていたので、日本でこんなのが行われるんだと驚きましたね。1996年の冬に知って、翌年大学1年生の時に参加しました。 ──これまでに10数回「フジロック」に参加していらっしゃいますが、 “伝説”といわれる第1回は特別なものだったのですか? お店の設営があるから、前日には会場(天神山スキー場)入りしていたんだけど、その日はすごくいい天気でした。ビール飲んでケバブ食べてワクワクしながら、2日目に出る予定だったリー・スクラッチ・ペリーとかのリハを見てたんです。それで1日目がはじまりました。ぼくは快晴の下、ビールを売ってたんだけど、たしかイエモン(ザ・イエロー・モンキー)かフー・ファイターズあたりの