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学習院女子大学 学術シンポジウム「日本近代再考」 実施報告|新着情報|学習院女子大学
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学習院女子大学 学術シンポジウム「日本近代再考」 実施報告|新着情報|学習院女子大学
12月2日(土)の午後1時より本学223教室において、学術シンポジウム「日本近代再考」が実施されました。... 12月2日(土)の午後1時より本学223教室において、学術シンポジウム「日本近代再考」が実施されました。 残念なことに、マイク・フェザーストン氏が事情により急遽参加できなくなったため、プログラムを変更して、代わりに本学の時安邦治教授が司会とともに発表を行いました。 司会者が問題提起も兼ねて行った第1発表「忘却される近代――鶴橋・猪飼野から考える」では、在日コリアンを通して日本の近代史を眺め直し、近代のネイション形成と忘却の問題が論じられました。近代とはそう遠くない過去であり、歴史として形をなすために積極的に何かを忘却しなければなりません。近代とは忘却の残余としての記憶であり、何が忘却されたのかという問いこそが、近代とは何なのか、そこからわれわれは何を学びうるのかという点に大きく関わるのでしょう。したがって、不断に近代を問題化し、再考することは、人文・社会科学にとってきわめて重要な意味をもつ