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「誰が言ったか」より「何を言ったか」を重視すべき、という甘え|イケハヤ大学【ブログ版】
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「誰が言ったか」より「何を言ったか」を重視すべき、という甘え|イケハヤ大学【ブログ版】
ネットで情報発信をしていますと、日々よくわからん方から絡まれます。面識もない人間からアホだのバカ... ネットで情報発信をしていますと、日々よくわからん方から絡まれます。面識もない人間からアホだのバカだの言われる日常。そういう声を無視していると、「イケダは口汚いことばのなかにある本質的な批判を見過ごしていて、人間的に未熟である」という批判をいただきます。今日はこのテーマについて考えてみましょう。 「誰が言ったか」より「何を言ったか」? 「イケダは口汚いことばのなかにある本質的な批判を見過ごしていて、人間的に未熟である」という批判の根底にあるのは、彼・彼女が「成熟した人間というのは、『誰が言ったか』ではなく『何を言ったか』で物事を判断できる」という価値観です。 「誰が言ったか」より「何を言ったか」を重視できるというのは、いかにも真っ当な人間のようですが、ぼくは最近、全然そんなことはないんじゃないかと考えるようになりました。 発言の価値というものは、「その人がこれまでどのような価値判断を下してき