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「吉野家」の看板メニュー「牛丼」誕生秘話 120年の歴史で具材も変化
同社によると「この魚河岸は、徳川家が江戸幕府を開いた際、摂津国(現在の大阪府)から漁師を呼び寄せ... 同社によると「この魚河岸は、徳川家が江戸幕府を開いた際、摂津国(現在の大阪府)から漁師を呼び寄せて作ったのが始まりで、その名残で店を構える者には大阪商人が多くいた」という。創業者の松田栄吉氏も、そうした同郷の商人と同様に上京していた。 店を開く上で、松田氏が注目したのが、当時流行っていた「牛めし」だったという。江戸時代まで日本では牛肉を食べる習慣がなかったが、明治政府が「文明開花」の象徴として牛肉食を推進。実際に食べた人々の中でその美味しさが評判になっていた。 中でも、「すき焼き」の元祖とされる「牛鍋」は日本人の口に合い、東京では牛鍋屋が急増。その流れに乗り、牛肉の切れ端のバラ肉や汁を白米にぶっかけた安価な「牛めし」を売る大衆食堂が出てきていた。なお、農林水産省の公式Webサイトの情報によれば、日本初の牛鍋屋は横浜の居酒屋「伊勢熊」で、当時はしょうゆと味噌を合わせたタレを使っていたという。
2023/05/15 リンク