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共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと
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共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと
共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと 信時 哲郎 1. 宮沢賢治の共通感覚 福島章氏は賢... 共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと 信時 哲郎 1. 宮沢賢治の共通感覚 福島章氏は賢治を、万物が生命感をもってせまってくるようにみえる躁状態と、いかなるものにも実感が伴わない離人感やメランコリーに苛まれる鬱状態が交互に訪れた周期性性格であると診断したが(『宮沢賢治 芸術と病理』昭45・2)、本稿ではそうした成果を含めて賢治の感覚を精神医学的に分析することから、信仰や文学を考え直してみることにしたい。 離人症とは世界のすべてが生気を欠いて感じられるだけでなく、それを感じているはずの自分の存在までが現実味を欠いてしまう状態である。賢治にとっての離人感は異常な事態としてあったのだが、これについて考えることは、宮沢賢治の全体像を考えるためのヒントを与えてくれる。 福島氏は<ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし(一六五)>が離人感を示しているというが、書簡にも