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Ⅳ 白沢からクタベへ
「白沢」は神獣であり、話すことができ、天下の11520種の鬼神(悪鬼やもののけ)のことを知り、それを黄... 「白沢」は神獣であり、話すことができ、天下の11520種の鬼神(悪鬼やもののけ)のことを知り、それを黄帝に教えたとされます(『軒轅本紀』)。鬼神のことに通じた白沢に「辟邪」の力を信じて描かれたのが白沢の図であり、中国では唐代のころから定着していきました。日本では『延喜式』(平安時代中期編纂)に祥瑞の一つとして上げられたのが初出ですが、特に江戸時代中期以降に流行します。例えば、戸隠山や八海山などで参詣客等へ頒布された「白沢避怪図」や、悪い夢を見ないため、諸々の邪気を避けるために枕元に掲げられた白沢の図などがありました。また、旅の心得を記した『旅行用心集』(文化7年〈1810〉出版)所収の「白沢の図」では、懐中すれば「山海の災難病患をまぬがれ開運昇進の祥瑞ある」と招福・攘災をうたうなど、魔除けとして民間に流布しました。 白沢は古くは獣の形であったものが、後に人面獣身が主流となりました(右図)。