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広瀬浩二郎 国立民族学博物館准教授 「さわれば、見えてくる」(2010.02.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
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広瀬浩二郎 国立民族学博物館准教授 「さわれば、見えてくる」(2010.02.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
◆ 京都との出会い ◆ 生まれたときは普通に視力があったのですね。ただ1歳半で病気になって、それから... ◆ 京都との出会い ◆ 生まれたときは普通に視力があったのですね。ただ1歳半で病気になって、それから弱視になりました。小学校は一般の学校で、最初は教室の一番前に座るなどしていたのが、だんだん視力が悪くなってきて、先生からは点字を勉強した方が良い、と言われていたのだけれども、周りの人と違う文字に抵抗があって、ノートもマジックで大きく書くとか騙し騙しやっていたのですが、ついに見えない状態になって、中学校からは盲学校に通いました。 単純に比べると、墨字(目で見る文字)はひらがな、カタカナ、漢字の3種類あるわけで、1種類しかない、しかも6つの点の組み合わせである点字よりよっぽど複雑です。だから客観的にどちらが難しいかといえば墨字だと思います。ただ触覚はあまり使わない器官ですから、大人になってから、30代、40代で中途失明された方などは苦労されるようですね。僕は失明したのが13歳でしたが、初めはやは