エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
殺人博物館〜ジム・ジョーンズ
オウム真理教の第7サティアンが強制捜査された時に識者が集団自殺を危惧したのは、人民寺院の事件が念... オウム真理教の第7サティアンが強制捜査された時に識者が集団自殺を危惧したのは、人民寺院の事件が念頭にあったからだ。912人もの信者が教祖と共に現世を後にした事件である。ところが、蓋を開ければ、麻原はウンコまみれで隠れていた。ジム・ジョーンズとは格が違うなあ、と呆れてしまった。 だからと云ってジム・ジョーンズを褒めるつもりは毛頭ない。末期の彼は明らかに狂人だった。しかし、当初は慈愛に溢れる聖職者だった筈だ。いったい何が彼を狂わせたのだろうか? ジム・ジョーンズことジェイムス・ウォレン・ジョーンズは1931年5月13日、インディアナ州の貧しい家庭に生まれた。KKKのメンバーだった父親は、彼が12歳の時に家族を捨てた。以後、母親のリネット一人の手で育てられた。 彼が生まれた町はいわゆる聖書地帯で、しかもファンダメンタリスト(聖書を文字通りに信じる宗派)が多い地域だった。不遇な彼は信心にのめり込み