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スナックのホステス 実は山口組の女装のヒットマンだった
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暴力団の若い組員は、抗争が始まると「鉄砲玉」として最前線に身を投げる。40年以上にわたって暴力団を... 暴力団の若い組員は、抗争が始まると「鉄砲玉」として最前線に身を投げる。40年以上にわたって暴力団を取材し続けてきたジャーナリスト・溝口敦氏の新刊『抗争』には、若い組員達の様々なドラマが記されている。ここでは1985年当時の山一抗争のエピソードを紹介する。(文中敬称略) * * * 竹中組の鳥取県倉吉市の組織に輝道会があった。この輝道会に山本尊章(事件時三六歳)、清山礼吉(同二七歳)という二人の組員がいた。 彼らは考えた――わしらは倉吉の田舎にいて、神戸や大阪の地理は分からへん。地元倉吉の一和会で、マシなものいうたら赤坂進ぐらいなもんやろう──。 赤坂進は一和会の幹事長補佐だった。同会幹事長・佐々木道雄の舎弟だったが、一和会発足後、山本広から盃をもらって直系組長に抜擢された。山本、清山の二人は赤坂進を攻撃対象に定めた。 清山は小柄で、雰囲気が子供っぽい。清山は倉吉駅近くのスナック「C」で女装