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ジャマイカ初のボブスレー代表選手が語る『クール・ランニング』本当の物語|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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ジャマイカ初のボブスレー代表選手が語る『クール・ランニング』本当の物語|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
<映画ほど楽しく愉快なことばかりではなく、困難でタフな経験だったし納得できない部分もあった。だが... <映画ほど楽しく愉快なことばかりではなく、困難でタフな経験だったし納得できない部分もあった。だが映画のヒントになれたことはうれしい> 私はジャマイカの学校を出ると、すぐに国防軍航空団に入った。イギリスで1年半、カナダで1年にわたってヘリ操縦の訓練を受けた。 ジャマイカに帰ってきたら国防軍のロデリック・ケンドリック・バーンズ大佐から、わが国初のボブスレー代表チームのメンバー選考に応募してみないかと誘われた。 ジャマイカ在住の2人のアメリカ人ビジネスマン、ジョージ・フィッチとウィリアム・マロニーがボブスレーのジャマイカ代表を設立する計画を立て、そりを操縦できそうな男はいないかと大佐に相談していた。それが1987年8月。カルガリー冬季五輪は半年後に迫っていた。 大佐は、いい候補がいると答えた。なんと私だった。ヘリを操縦できるなら、そりも操れると考えたらしい。 でも私は、ボブスレーのことを何一つ知