![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1316cb1caa59dc4ee1e800d62ed2c62d16a1f6b6/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.newsweekjapan.jp%2Fstories%2Fassets_c%2F2015%2F08%2Fendo20150826-thumb-425x272-79401.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない
中国はいま抗日戦勝記念行事で燃え上がっている。しかし中国建国の父、毛沢東は、抗日戦争勝利記念行事... 中国はいま抗日戦勝記念行事で燃え上がっている。しかし中国建国の父、毛沢東は、抗日戦争勝利記念行事を一度も行ったことがない。建国以来の推移を見れば、習近平政権の異様さが際立ってくるだろう。 1950年代における抗日戦勝日の行動 中国(中華人民共和国)が1949年10月1日に誕生すると、その年の12月23日に中央人民政府政務院(現在の国務院に相当)が抗日戦争勝利記念日を8月15日にしようと決定した。しかし実際には実行されておらず、1951年8月13日に、記念日を「9月3日」にすると、文書上で決めた。 毛沢東はそれにも従わず、9月2日にソ連のスターリンに祝電を送ることだけしかやっていない。 中共中央文献研究室が編集し、中央文献出版社から出版した『毛沢東年譜』に基づいて、9月2日前後に、毛沢東がどのような行動を取ったか、また抗日戦勝日記念行事を行ったか否かを、以下に記す。 ●1950年:抗日戦勝に
2015/08/27 リンク