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西本恵「カープの考古学」第10回 広島プロ野球誕生物語その十 2リーグ制の背景にあった米国の国家的意図 | SPORTS COMMUNICATIONS
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西本恵「カープの考古学」第10回 広島プロ野球誕生物語その十 2リーグ制の背景にあった米国の国家的意図 | SPORTS COMMUNICATIONS
カープ球団は、昭和25年からセントラル・リーグの一員としてペナントに参戦できるようになった。その一... カープ球団は、昭和25年からセントラル・リーグの一員としてペナントに参戦できるようになった。その一番の要因は、前年の昭和24年、プロ野球の生みの親とされた正力松太郎が提唱した2リーグ制に端を発しているのは、過去に述べたとおりだ。 この2リーグ制は、アメリカの2大リーグにならい、互いに切磋琢磨することで、野球技術の向上を図ろうとしたものである。 GHQによる働きかけ 実は2リーグ制誕生の背後には、アメリカの国家的な意図があったとされている。正力が2リーグ制を提唱する前、GHQ連合国総司令部で経済科学局長を務めながら、日本のプロ野球の復興を任されたウィリアム・マーカット少将が、正力と対談を行った。そのときに「2リーグ制」を薦め、このことは「野球と正力」に記されている。 <マーカット少将も、これを日本の球界代表たちにすすめたことはある>(『野球と正力』室伏高信・講談社) マーカット少将が「2リー