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【坂東武士の系譜・第2部(11)】宇都宮信房 新天地へ…「西遷御家人」先鞭(1/3ページ)
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【坂東武士の系譜・第2部(11)】宇都宮信房 新天地へ…「西遷御家人」先鞭(1/3ページ)
鎌倉幕府有力御家人は戦功によって新たな領地を得て、西日本に進出していった。その「西遷御家人」の先... 鎌倉幕府有力御家人は戦功によって新たな領地を得て、西日本に進出していった。その「西遷御家人」の先鞭(せんべん)をつけたのが宇都宮信房だ。平家追討の恩賞として豊前(大分県、福岡県)、日向(宮崎県)に多くの所領を得た。 源頼朝の挙兵に従い、野木宮合戦(1183年)にも出陣。文治3(1187)年、鬼界ケ島(きかいがしま)で平家残党を追討したと伝わる。「鹿ケ谷の陰謀」で僧、俊寛が流刑となった鬼界ケ島は諸説あるが、薩南諸島か周辺だ。そんな遠くまで追い掛ける必要があったのか。 県立博物館(宇都宮市睦町)の学芸部長、江田郁夫さんは「奥州藤原氏を倒し、北は外ケ浜(青森)まで支配下に置いた頼朝が南の果ても抑えることで、当時考えられていた日本全土を制圧したことになり、シンボリックな場所だった」と指摘する。 系図では信房の祖父、宗房は宇都宮氏2代・八田宗綱の兄弟となっているが、中原姓であり、藤原姓を名乗る宇都宮