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【被災地を歩く】3・11後の女川港 娘は海に…今週も会いに行く
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【被災地を歩く】3・11後の女川港 娘は海に…今週も会いに行く
報道陣が参集して落ち着かない雰囲気の「3・11」が今年も過ぎ、3月下旬の女川港(宮城県女川町)は... 報道陣が参集して落ち着かない雰囲気の「3・11」が今年も過ぎ、3月下旬の女川港(宮城県女川町)は静けさを取り戻していた。 石巻市の看護職、成田博美さん(56)は港そばの献花台にいた。週1回、花を取り換えに来る。 東日本大震災で一人娘の絵美さん=当時(26)=を亡くした。勤め先の地銀の七十七銀行女川支店で被災している。 支店跡を見下ろす。復興工事で更地になっている。 娘は12人の同僚と支店の屋上に避難した。支店は2階建てで高さ約10メートル。15メートルを超す津波が襲い、丸ごとのみ込まれた。男性行員1人を除く全員が死亡・行方不明になった。娘の遺体も見つかっていない。 ◆唯一の生存者 震災翌月、銀行主催の遺族説明会があった。生存の男性行員も顔を出す。30歳と聞く。浮遊物につかまって浮いているところを奇跡的に漁船に助け出された。 男性の生還を心の底から喜ぶのは遺族心理として難しい。自分の身内は命