エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【私と胸高鳴る人たち(5)】青木崇高が語る 観世流で知った「自分の音階」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【私と胸高鳴る人たち(5)】青木崇高が語る 観世流で知った「自分の音階」
(前回に続き)時代劇映画「蜩ノ記」(2014年)の撮影までに、私には習得しなければならないものが... (前回に続き)時代劇映画「蜩ノ記」(2014年)の撮影までに、私には習得しなければならないものがあった。 早駆けの次に私が習うのは「謡(うたい)」であった。「謡」を知らない私はまずスマホを取り出した。歌い、唄い、唱い、謡い-あった。「謡とは、能の言葉や台詞(せりふ)にあたるもの」。なるほど、たまにNHKで見たりするアレか。イヨ~、ポン!のやつか。大変失礼で無知な私であった。 制作スタッフから、650年続く能楽の一派、観世流梅若万三郎家の梅若紀長先生を紹介していただき、本格的に「謡」を習うこととなった。私は映画の後半で、友人の祝言(結婚式)に、能「高砂」の一節「四海波(しかいなみ)」を謡うことになっている。 稽古初日。先生とのご挨拶を済ませ、早速、稽古場へ。板張りの床に正座である。足の甲の骨が板に当たって痛い、イテテテ。 「では私が先に謡いますので、青木さまはそれより後に続いて謡ってください