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蟷螂(かまきり)が結ぶ縁【1】 京都と小田原をつなぐ外郎(ういろう)家 祇園祭の山鉾巡行 | 小田原・箱根・湯河原・真鶴 | タウンニュース
今にも降り出しそうな空の下、カラクリ仕掛けのかまきりを乗せた山はゆっくりと動き出した。盛夏の7月1... 今にも降り出しそうな空の下、カラクリ仕掛けのかまきりを乗せた山はゆっくりと動き出した。盛夏の7月17日、京都三大祭りの一つ「祇園祭」の前祭(さきまつり)山鉾巡行に、小田原の老舗製薬・製菓会社「ういろう」の外郎武社長と社員2人の姿があった。京都と小田原、そして静岡を結ぶ縁を取材した。 前祭・後祭あわせて33基の山鉾のなかで唯一、動くカラクリを乗せた「蟷螂(とうろう)山」。南北朝時代、足利義詮(よしあきら)軍に挑んで戦死した公卿・四条隆資の勇猛果敢な戦いぶりを、中国の故事「蟷螂の斧」になぞらえ、当時京都に住んでいた外郎家の先祖・陳外郎大年宗奇(ちんういろうたいねんそうき)が1376(永和2)年、隆資を偲び、四条家の御所車にかまきりを乗せて巡行したのが始まりとされる。 その後、動乱の京都を離れ外郎家は小田原へ。蟷螂山は幾度も戦火に遭いながらその都度再興してきたが、1864(元治元)年の大火で大部
2022/08/04 リンク