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人権は入管の門前で立ち止まる~入管の歴史を歩く(前篇)
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人権は入管の門前で立ち止まる~入管の歴史を歩く(前篇)
長崎県佐世保市・JR南風崎(はえのさき)駅 ひと群れの朝鮮人がその小さな駅におりたのは夕暮れ刻(どき... 長崎県佐世保市・JR南風崎(はえのさき)駅 ひと群れの朝鮮人がその小さな駅におりたのは夕暮れ刻(どき)だった。一行は長崎本線の諫早駅で大村線にのりかえ、とうとう目的地の南風崎駅に着いたのだ。 芥川賞作家・李恢成さんの自伝的小説『百年の旅人たち」の一節である。 李さんは1935年、日本の領土だった樺太(現サハリン)の真岡で、朝鮮人の両親の下に生まれた。 終戦後、同地に住んでいた日本人の引揚が始まるが、朝鮮人は放置された。日本への引揚対象に、朝鮮人は含まれていなかったのだ。「日本人」になれと強要しながら、最後には「日本人」ではないのだと切り捨てる。国家とは実に勝手なものだ。 李さん一家は樺太を脱出し函館に至るも、GHQによって韓国へ強制送還されることになった。そこで、朝鮮半島への船が出る長崎県佐世保市まで、一家は押送列車で運ばれた。国家によって強いられた長旅の体験を描いたのが、1994年に野間