エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
『哭声/コクソン』 映画 信じぬ者は救われぬ - 自堕落論
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『哭声/コクソン』 映画 信じぬ者は救われぬ - 自堕落論
www.youtube.com 映画の興奮に満ちた映画だ。 ジャンルは関係ない。 ここで描かれる残虐なシーンや血み... www.youtube.com 映画の興奮に満ちた映画だ。 ジャンルは関係ない。 ここで描かれる残虐なシーンや血みどろなカットの興奮はもちろんだが、核にある人の醜さとそれに対応したかのような物語の展開が、鑑賞中、鑑賞後も興奮を持続させる。 鑑賞した人たちが、語りたくなるのも良くわかる。 この映画の一番の魅力は、不気味な謎の日本人を演じた國村隼に尽きる。 彼がスクリーンに出てくるだけで空気が変わる。その上で白褌で、鹿のナマ肉を四つ足で喰らうなど、次々と強烈な役を演じきっている。 彼を観るだけでも充分に鑑賞の価値がある。 その上で、映画から感じ語りたくなるようなマジックに満ちた映画だ。 観て、感じて、語って欲しい。 韓国の山奥にある田舎町で起こった猟奇事件から幕が開き、住民と交流しない不可解な日本人と連続する事件の関係について主人公や住民たちが疑心暗鬼になって行く。 映画評論家の町山智浩によく