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決断主義者としてのキラ・ヤマト - カオスの縁――無節操備忘録
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決断主義者としてのキラ・ヤマト - カオスの縁――無節操備忘録
以下、『ゼロ年代の想像力』から派生した私なりの思考メモです。 90年代、宇野氏言うところの「セカイ... 以下、『ゼロ年代の想像力』から派生した私なりの思考メモです。 90年代、宇野氏言うところの「セカイ系」的な想像力が隆盛しました。オウム真理教事件などを契機に、「世の中の事はわからない、信用できないから引きこもる」「碇ゲンドウのような大人の言うことに従って行動すれば誰かを傷つける、だから引きこもる」といった傾向の作品群が生まれたと、氏はまとめています。 そして、そこで示される倫理感は、大雑把に言えば「○○しない」という倫理だったと。 ここで思い出されるのが、以前うちのブログで扱ったあの話題です。 「90年代キーワード、不殺」。 http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20060822/1156218511 この「不殺」こそ、宇野氏の言う「○○しない」という倫理の最も顕著な例でしょう。「殺さない」という倫理です。そういう意味で、上記リンク先で紹介した「さて、次の企画は」さん