エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」
■<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」 ヘーゲル『... ■<芸術>はもう用済みなのか? ─ ヘーゲル『美学講義』、理念の自己発展、「芸術終焉論」 ヘーゲル『美学講義』/フリードリヒ、ガダマー他『芸術の終焉・芸術の未来』 ■ヘーゲル『美学講義』(岩波版全集18a-19c、竹内訳『美学』9分冊。作品社、長谷川訳『美学講義』上中下) ■フリードリヒ、ガダマー他『芸術の終焉・芸術の未来』(勁草書房、神林他訳) ヘーゲルの哲学は「理念(Idee)の自己発展」という図式を根本に持つ。これこそが、初期ロマン主義思想のなかで彼の独自性を主張するものであり、またヘーゲルの「芸術形式の史的発展」という主張の基礎にもなっている。まず、当時の思想との違いを説明しよう。シェリングらの初期ロマン主義においては、理念(内容)とその現象(形式)は終始対立するものとして考えられている。芸術は、理念を現象のうちに啓示するものとして考えられるが、その断絶は根深い。美的直観のうちにそ