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【正論】震災下の8・15 立命館大学教授、大阪大学名誉教授・加地伸行 - MSN産経ニュース
■戦後なくした「死の覚悟」教えた 昭和20年8月15日、敗戦のとき、私は国民学校(現在の小学校)3... ■戦後なくした「死の覚悟」教えた 昭和20年8月15日、敗戦のとき、私は国民学校(現在の小学校)3年生であったが、66年の時が流れ、75歳の老人となり、老残の虚(むな)しき今は、漠然とながら死を意識している。もっとも、それは平和の中での凡庸な〈死の意識〉でしかない。 それに比べて、大東亜戦争当時、米英と直接に戦って散華された方々には、祖国のためにという〈覚悟の死〉の意識があった。 しかし、敗戦は死の問題を闇に押しやり、人々は最高の価値を平和に置いて66年、死の問題そのものを忘却していった。日本人は、いつのころからか、死を語ることを避けてきた。のみならず、「死」に代わることばを使って、死を覆い隠してきたのである。 ≪呪文に唱えた「安心・安全」≫ そのことばとは「安心・安全」である。このことばを呪文のように唱えてさえおれば、死を避けられると信じてきた。いや、信じようとしてきた。 その結果、日本
2011/08/02 リンク