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【幕末から学ぶ現在(いま)】(110)東大教授・山内昌之 徳川家定+(1/4ページ) - MSN産経ニュース
“地震公方”の決断力 政権の力が低下し、政治基盤の弱い統治者の時に限って、天変地異や政治不安が生じ... “地震公方”の決断力 政権の力が低下し、政治基盤の弱い統治者の時に限って、天変地異や政治不安が生じるのはどうしたことだろうか。 幕末の徳川家定はつくづく不運な将軍であった。生まれつき身体が虚弱で判断力の鈍い最高指導者なら他にもいた。7代将軍家継(いえつぐ)は幼少のまま政務らしい日々の営みをせずに早世し、9代将軍家重(いえしげ)も家定のように政治を統べる言葉に不自由した将軍である。 しかし、家継には間部詮房(まなべ・あきふさ)、家重には大岡忠光といった近臣がいて補佐に務め、弛緩(しかん)しながらも幕府の屋台骨を壊すまでには至らなかった。家定にも阿部正弘や堀田正睦(まさよし)のような老中がついており、平時ならさほどの問題がなかったかもしれない。 ◆相次いだ大きな災難しかし、家定の在職した安政年間は開国と通商にからむ外交内政の懸案に加えて、大きな災難が相次いだのだ。家定と幕閣は、社会基盤の回復と
2011/04/21 リンク