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「神は細部に宿る」は正しく使おう -「言葉」の持つ誤ったことを正当化してしまう怖さ-
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「神は細部に宿る」は正しく使おう -「言葉」の持つ誤ったことを正当化してしまう怖さ-
「神は細部に宿る」という言葉。出典は諸説あるそうですが、建築とかそっち方面の言葉のようです。 これ... 「神は細部に宿る」という言葉。出典は諸説あるそうですが、建築とかそっち方面の言葉のようです。 これ本来は、「大きな目的・ゴールの達成のためには、(その重要な構成要素・手段である場合)ディテールにも拘らないとその高次での達成は難しい」というような意味だと思っているのですが、なんだか細かくチェックすることただその行為を「神は細部に宿る」といった言葉で正当化するような場面に出くわすことがあります。 私は目的を外れた、あるいは外れていなくても他に目的達成に重要なことがある場合、細かくあることは逆に悪であるとも思っています。ということで、なぜ目的に外れた細かさの追求がされてしまうのか、考えてみました。下記のようなところが主だった要因かと思います。 ・サイロに陥っている サイロとは家畜の飼料や穀物などの貯蔵庫を意味し、「窓がなく周囲が見えない」ことから、外部との連携を持たずに自己中心的で孤立している様