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「使える/使えない」と科学、あるいは大半の疑似科学は本当に技術か
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「使える/使えない」と科学、あるいは大半の疑似科学は本当に技術か
このtiharaさんのエントリ、「どうやって使える/使えないを見極めるか」が入ってませんよね? 違いま... このtiharaさんのエントリ、「どうやって使える/使えないを見極めるか」が入ってませんよね? 違いますか? 技術って、その見極めを抜きには成立しないですよね? そして、その点において技術と科学はクルマの両輪のような関係にないでしょうか? 以前、きくちくんと「科学的に確かめられたって、どういう状態か」なんて話をしたときに、ぼくが「原理がわかってること」を含めたら、「原理や機序がわかんなくてもいいんだよ」と教えてもらったことがあります。「こうすればこうなる、ということがちゃんと確かめられていればいいわけ」というんです。 であれば、科学も必ずしも「説明できる/できない」だけで語られるものではない、と言ってもいいのかもしれません。 もちろん、その「ちゃんと確かめる」って部分は、医療であれば臨床試験(だっけ?)とか、そういうことですよから、原理や機序はわからなくても「こういう条件でこうすると、こう