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応仁・文明の乱の“常識”を疑うべきか: 雑記@史華堂
先日たまたまテレビをつけたら、くだんのNHK「その時歴史が動いた」で応仁の乱のネタをやっていたので、... 先日たまたまテレビをつけたら、くだんのNHK「その時歴史が動いた」で応仁の乱のネタをやっていたので、途中から見てました。ゲストはまたSさん。松平アナに「義満以来ですね」って言われてましたが(笑)。義満の回の感想はこちら。 まあ内容はおおむね通説通りでしたが、気になったのは、「当時の史料」と紹介した「応仁記」にかなりの内容を依存していること。 「応仁記」の内容がまったく信用できないわけではないですが、やはり後世に作られたものなので、「同時代史料」として扱うのは配慮に欠けています。 この「応仁記」については、16世紀前半に細川高国に近い人物が書いたとされていて、相当「細川寄り」に書かれている可能性が高いそうです。結果として、細川勝元と対立した日野富子と山名宗全が“乱の首謀者”として辛辣な扱いを受けており、そのイメージが現代にも定着しています。 実際のところは果たしてそうだったのか…? 史料を総
2008/07/20 リンク