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【マスメディアとつきあう12の方法】 Quid haec ad humanitatem? | 「習合」する神道
■左から 「死児を抱く女」(「Miserere Nobis」) 「水を求めて」 「難民荒野を行く」 「戦禍... ■左から 「死児を抱く女」(「Miserere Nobis」) 「水を求めて」 「難民荒野を行く」 「戦禍を逃れて」 「解放の贈り物」 靖国神社に代表される国家神道は、神道の一形態であり、神道全体を代表するものではない。肥大化した国家神道を相対化しなければならない。 何故この角度から突っ込んで、靖国の特質を浮き彫りにする言論・報道が極少なのだろう。あるのかな。見かけた方、教えて下さい。テレビは殆ど観てないから、テレビでやってるのかも。 この視点がないから、往々にして「近代」の擬制の範疇での、また、せいぜい幕末以降の狭い時空内での、些末な議論に陥ってしまう。その設定・前提自体が、見誤る理路を用意している。だからといって解決する妙案は浮かばないんだけどさ。 ▼神道について知ろうと思い立った時、図書館で最も手にする機会の多いであろう本に、『神道思想集』ってのがある(筑摩書房
2006/08/27 リンク