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アマチュア志向哲学ブログ 儒教・仏教・神道
孟子の言葉に「放心を求むる」というものがあります。ここで言う「放心」とはぼんやしりしていることを... 孟子の言葉に「放心を求むる」というものがあります。ここで言う「放心」とはぼんやしりしていることを意味するのではありません。「失われた心」という意味です。 孟子がいわれた。「仁は人間の本来持っている心であり、義は人間の必ずふみ行くべき道である。ところが、世人はこの正しい道(義)を捨ててこれによらず、この心(仁)を放失してしまっても、これを探し求めようともしない。まことに嘆かわしいことだ。世人は誰しも自分の買っている鷄《にわとり》や犬が見えなくなっても、大騒ぎして探すことを知っているくせに、肝心なこの心を放失してしまっても、一生懸命に探すことすら知らない。〔これこそ、本末顛倒もはなはだしいというものだ〕。学問の道は外にはない。ただ、自分の放失した心を探し求めるだけのことだ。」 孟子といえば、性善説です。人間の本性は善なのです。しかし、人は自分の本性を見失いがちであり、それを孟子は嘆くわけです。