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さぬきの桃太郎 (97)讃史-伝説と神社 【10.酒部黒麿】
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さぬきの桃太郎 (97)讃史-伝説と神社 【10.酒部黒麿】
古代讃岐石神祀 『神櫛王』、『武殻王』に関連してまた『酒部黒麿』にも異説がある。綾歌郡栗熊村村社宇... 古代讃岐石神祀 『神櫛王』、『武殻王』に関連してまた『酒部黒麿』にも異説がある。綾歌郡栗熊村村社宇閇神社の伝によると、武殻王四世の孫『綾真玉』の子『益甲黒丸』という者が、酒を醸造して第十九代允恭天皇(412~453 )に賜り酒部という姓を賜るとある。 同郡造田村郷社 天川神社の舊記には、讃岐国造の始祖『神櫛王』の遠裔の『益甲黒丸』が那珂郡神野郷に住み、その女が上手に酒を醸造した。これを、孝謙天皇に奉りて、姓酒部を賜うとあり、神野郷(後の真野郷)の矢原氏家記に、『神櫛王』三十五世の孫『酒部黒麿』とあるのに一致する。 この天川神社舊記、矢原氏家記等は讃岐国官社考証にも引用されている。 -縣神社史より ◆酒部益甲黒麿が地元では『城山長者』と呼ばれている。 城山長者是なり武殻王四世孫綾の真玉の子也。名を益甲と称す。初め家に井水なきを憂へ其居の東北の隈に栗樹あり、鵜が之に集まる鵜地を一日跑ると、清水