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来生たかおについての2、3の事柄
来生たかおについての2、3の事柄 (「E'tranger」/87.11.25/キティ/KTCR-1568) 井上陽水・小椋佳を手掛け... 来生たかおについての2、3の事柄 (「E'tranger」/87.11.25/キティ/KTCR-1568) 井上陽水・小椋佳を手掛けた多賀秀典のプロデュースのキティレコードの大型新人として76年にデビューした来生たかお。 全盛期の山口百恵のアルバムに作曲家としてひっそりと参加したり、TBSの「サウンドインS」のプロデューサーと懇意になり、しばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」のヒットを得たりと、裏方での実績は着実に積み重ねていったものの、 自身の活動となると全くといっていいほどの全くの鳴かず飛ばず、この状態が約5年続いた。 81年、キティとカドカワの共同制作による映画「セーラー服と機関銃」の主題歌起用で競作となった「夢の途中」がようやく大ヒット(―――ちなみに最初は来生版が映画主題歌の予定だったのが、土壇場で薬師丸ひろ子の歌唱による主題歌に変更になったのだそうだ)。 ここで一気にメ