サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
wagamamakorin.client.jp
1.daily news 2.needs somebody's love 3.あなたについて 4.here we are(album version) 5.さがしもの 6.winding road 7.storytelling 8.tumblin’dice(album version) 9.waiting for your smile 10.sagashimono(Reprise) 「さあ、ハッピーエンドの続きを君たちに聞かせよう」 小室哲哉は「LOVE BRACE」で華原朋美を主役に現代のおとぎ話を表現した。その幸福な結末の続きが、華原朋美の三枚目のアルバム「nine cubes」である。これは音楽ではない、残酷な解体ショーだ。 華原朋美という名で再デビューして以来、小室哲哉の公然たる恋人として活動してきた彼女であったが、このアルバムの発売の二ヵ月後、99年1月には所属していた小室哲哉の
歌手・アイドルを中心に俳優・タレントなど、メディアに登場する方たちの感想文集です。 面白かったと思ったら「拍手」してやってください。励みになります。 ・「中森明菜 歌姫の軌跡 歌謡曲 最後の時代 1982~1989」 A5判 124頁 1200円 在庫切 ・「中森明菜 歌姫の軌跡 2 彷徨の二十年 1990~2009」 A5判 156頁 1500円 在庫切 ・「斉藤由貴 自らを探す旅 1985~2010」 A5判 100頁 1000円(送料込) 在庫切 ■ 通販方法 通販・インデックス (for PC) (for ケータイ) ・商品詳細や申込み、支払や送付方法等、諸々はこちらになります。 通販事務・連絡コーナー ・発送・入金確認・在庫に関するこちらからの連絡が記載されます。 振込完了連絡用 メールフォーム ・代金振込後はこちらのメールフォームでご連絡ください。口座確認いたします。 お問い
1位プレゼントは100%高級メロン果汁でつくった特大シャーベット。 いいでしょ、って顔をカメラに向けて一口、一拍置いて目を大きくして口元に手を当てて「すっごくおいしいです」。リアクションが明菜だなあ、当たり前だけれど。 オフコメ「出せば必ず1位の実力ナンバーワンアーティストに成長しました」。確かにこの時期の明菜は敵なしでしたなぁ……。 セットは電飾つき植物風白いオブジェ。衣装はかの有名なエルメスの限定スカーフで作ったというスーツ。 1位2週目。 これは「明菜 よもやま話『七夕』」で扱った回。 明菜は短冊に「早くお嫁さんに行けますように」と願い事を書いてしまう。 「指輪買ってこなきゃ」事件(86.07.24)とか「好きなタイプ教えてください」事件(85.06.13)などと、マッチと明菜はこれまでこの番組で色々と悪ふざけをしていたわけで、今回もそのつもりだったのかもしれないなぁ、と通しで見ると
Rebeccaの歴史はまさしく「青春」という言葉で封印されている、とわたしは思う。 一度も振り返ることなく、あらゆるものを振り切るようにひたすらに突っ走りつづけて、そしてあっけなく散っていった。 ファーストアルバムからラストアルバムまで、その期間はわずか五年という短いものだったけれども、すべてが濃密で、ひとつひとつが欠かすことの出来ない活動履歴だったと、思う。 オリジナルアルバムも、わずか七枚(――うち三枚がミニアルバム)と、あまり多いとはいえないけれども、その全てが「次に迎えるなにかのためのアルバム」というか、そんな感じがあって、 未完の美しさと切なさ、鮮やかさを感じずにはいられず、 これはやっぱり「青春」以外の何者でもないよね、と、このこっ恥ずかしいを思わず繰り返し言葉にしてしまうのだ。 だから、たとえ、どのような形でRebeccaが再結成され活動再開しようとも、あのときのRebecc
細木数子という居酒屋のおばちゃんのような占い師が再びテレビに出るようになって久しい。ご立派なお説教を吐きつつもちょっとした一言や行動が妙に下品でそんな時「地金が見えてますぜ」とわたしは思わず呟いてしまうのだが、 そんな彼女の姿を見るにつけ、もう一人の占い師のことをわたしは思わず想起してしまう。 「天中殺入門」を著した和泉宗章という人を、である。 1978年、かれは当時の深夜番組「11P.M.」に彼は出演し、「天中殺の時期に巨人監督になった長嶋監督は日本一になれない」と発言したのをきっかけに「天中殺ブーム」なるものを巻き起こす。 彼の著書「天中殺入門」と「算命占星学入門」はあわせて350万部の大ベストセラーにまでなり、彼はメディアの寵児となった。 さらにその勢いに乗ってかどうか知らないが、彼は「80年2月までに長嶋監督は辞任する」とまで予言してしまう。 それが運のつきか、かれは予言を外し(―
文明開化以来、私たち日本人は、東洋と西洋の文化の狭間で、人格をふたつに引きかされている――(今となっては「いた」なのだろうか、どうだろうか)。 わたしたちの先達は、西洋の様々な文物を日本化するのに、様々な試行錯誤を繰り返した。その一連の流れの中で、西洋のロックを日本の文化とさせる、その作業もまた同様であった。 日本語とロックの融合を目指したはっぴいえんどが東と西の間でアイデンティティーを失い「さよならアメリカ、さよならニッポン」と最期の呟きを残して太平洋のど真ん中に水没したのは1972年のことである。 そのメンバー細野晴臣が次なる一手としてYMOを結成するのは1978年。彼らはジャパネスクを逆手に取り、「東洋・西洋」という対する概念を記号化し、意味を解体させた。 さてさて、一方、同じく日本語によるロックを標榜していた加藤和彦が、サディスティック・ミカ・バンドを海外での成功直前に空中分解させ
◆ HEART STATION (08.03.19/第1位/99.8万枚) 1. Fight The Blues 2. HEART STATION 3. Beautiful World 4. Flavor Of Life -Ballad Version- 5. Stay Gold 6. Kiss & Cry 7. Gentle Beast Interlude 8. Celebrate 9. Prisoner Of Love 10. テイク 5 11. ぼくはくま 12. 虹色バス 13. Flavor Of Life(Bonus Track) 一曲目「Fight The Blues」の、払暁のような爽快さに、彼女がこれまでのものを振り切ったことがよくわかる。 痛みを引きずりながらも、それでも力強く生きていく。これがこのアルバムのテーマといっていい。 ま、つまりは「ヒカルは、離婚の痛手から
この人ほど、色々と音楽のスタイルをさりげなく変えている人もいないんじゃないかなぁ。と思う。 シュガー・ベイブ時代の延長のようなクラウン時代のフュージョン系のソロアルバムに始まって、「Romantique」以降の擬似ヨーロッパ・テクノ路線へ、「コパン」を最後に坂本龍一と離れてからは本当にやりたい放題。 「A Slice of Life」で大村憲司とGS調ギターサウンドで戯れたと思ったら、「プリッシマ」ではモダンジャズにスリリングに接近したり、 90年代初期には小林武史と組んでモータウン調のポップス王道のような作品を作ったと思ったら、今度はブラジル、その次はまたフランス、そして今は、山弦と組んで温もりのある音色にこり始めて……。 それが、しっちゃかめっちゃかという風に聞き手に映らないのは、彼女のなかにある音楽というものがしっかりしている――背骨がきちんとあるからだと思う。 彼女の作品は、アレン
同人誌「斉藤由貴 自らを探す旅 1985~2010」発行しました。 すべてのアルバム・シングル・ビデオ作品・著書をレビュー。詳細はこちらへ。在庫切れ ≫≫≫≫≫斉藤由貴・全アルバムレビュー へ 斉藤由貴の音楽的な僥倖は、まずキャニオンの長岡和弘ディレクターの下に置かれたのが大きいと、私は思う。 長岡氏は、元々甲斐バンドに所属していただけあって、合宿レコーディングがなによりも大好きなのだ、という。(――実際、河口湖でのレコーデイングの話はよく斉藤自身からもでていた)。 それは歌手はもとより、プレイヤー・作詞・作曲者などを一堂に会してくり広げられる(――ちなみにアルバム「AXIA」制作の合宿中に手持ち無沙汰になって書いたのが松本隆の初の小説「微熱少年」なのだとか)。 ヒット曲のつくり方というのは、この時代から既に分業的・工場的になっていて、なかには、作詞・作曲など、大きくかかわったにもかかわら
まず最初に言わせて頂きたい。アイドルマニアなのに高岡早紀を聞いたことがない、なんて人は絶対不幸。ブックオフで350円とかでおっこっている高岡早紀のCDをサルベージしない人も絶対不幸。ありえないぜっ。高岡早紀の楽曲のプロダクションワークは神。神なのであります。聞かないという選択肢が出てくるということ自体考えられないのでありますっ。――はぁ、すっきりした。 80年代後半、後藤久美子を契機にどっと出てきた美少女アイドル(―――宮沢りえ、観月ありさ、藤谷美紀、坂上香織、小川範子などなど)のなかでも、より独自の佇まいのあった高岡早紀。CF、グラビア経由の露出でブレイク(――マドラスのCFは印象的だった)、そこを足かがりに色々な仕事に手を広げ、最終的には女優の領域へステップアップ、と、まぁ、当時のゴクミなどの他の美少女アイドルと同じような流れへ彼女も進むのだが、ただ彼女に限っては、あくまで女優へのステ
リンク先のリンク先で興味深いサイトがあった。 奇妙なネチケット・ネットマナーサイトへのツッコミが書かれている、世にも奇妙なネットマナーというサイトである。 そちらのリンク先で訪問者だって毒を吐くも興味深い。 どちらも要は「ネチケット守れよ」とかいって偉そうに講釈垂れるお前がなってないんじゃない??という主旨なのだが、なんとなく身につまされる思いがした。 こちらを見て私が思ったことは2つに絞られる。 1. ネチケットってなんだろう。 2. 同人女性って怖い人が多いにゃあ。 この2つである。 ネットマナー、ネチケットといわれるものって一体なんなんだろうなあ。 ネット上を徘徊していると実際、およそ相手を人とは思わない失礼な書きこみ、いわゆる「アラシ」といわれる書きこみと時々出会う。 ああいう書き込みをする人たちがネットマナーやらネチケットというものに対してどう思っているのかしらんが、そういったア
中森明菜 心の履歴書 ~不器用だからいつもひとりぼっち~ 「中森明菜」を引きうけるか、否か (1994.12.27/麻布台出版) 中森明菜のファンをしていると、「あぁ、今『中森明菜のファンでいる自分』というものを試されているなぁ」としみじみ思う出来事が何度か起こる。 ファンである期間が長ければ長いほど、彼女にのめりこめばこむほど、より重い十字架を背負われてしまう瞬間というか、彼女のファンであることが、ずしっとわが身に響く時というか。そういう出来事が何度かおこる。 1つ目は、89年の彼女の自殺未遂とそれにまつわる様々な騒動だった。 週刊誌に飛び交う様々な悪意のある憶測。事務所移籍。恋人との別離。家族との絶縁。 2つ目は91~93年頃、自殺未遂事件後、ジャニーズ事務所とワーナーが用意した事務所を飛び出した彼女に巻き起った様々なトラブルだった。 ほとんど機能しなかった個人事務所「コンティニュー
もう少しだけ栗本薫とわたしについて話をさせてほしい。 栗本薫が死んだという一報を聞いた時、わたしはまったく動じなかった。なにも心が動かなかったといってもいい。 すい臓ガンに冒されていることはずいぶん前から知っていたし、今年の春先の「グイン・サーガ」アニメスタートの時に世間に見せた、とても56歳にはみえない彼女のやせ衰えた姿に、最期の時はもう間もなくだろうことも、わかっていた。 だから、明日の天気を聞いた時のように、わたしはその事実をこともなげに飲み込んだ。 なのに、いざ追悼文でも書こうと栗本薫のことを思ったときに、わたしは混乱した。 どう言葉にすればいいのかわからなくなって、ぜんぜんうまく書けなかった。ひとまずこんなご丁寧で冷静な言葉では違う。 もっと今のわたしは感情的で、偏執的で、思い込みが激しくって、熱くて、支離滅裂で、無茶苦茶で、愚かで――、そう、栗本薫のようにどうかしていると、思っ
高校生の頃、 友人に「なにか読むものない?」 といわれて、わたしは鞄のなかにあった栗本薫の初期の短編作品――「天国への階段」だったかな、を渡した。 読みおえた彼は、「この人の作品、好きじゃない」といった。 なんで? と、訊きかえした私に、彼は少し考えて、 「論理的じゃないから」 と、こたえた。 論理的、じゃねーーよなーーー、栗本薫。確かに。 ◆ ひさしぶりに彼女の長編作品――「メディア9」を読んだ。 これは、82年出版の著者初の長編SF作品なのだそうだが、 この作品も、彼女の作品のいつものごとく、やたら文体が平易で漢字が開いていて、、かつキャラクターの流暢がすぎる自己開示がすさまじく、 そしてこれが最も重要なポイントなんだが、異様なほどに印象的な言葉、感動的なシーンが連発して、涙をそそる。 読みやすくって、なんかいい話のような気がする。 の、だ、け、れ、ど、も。ふと、冷静になってストーリー
その後の追悼・ほんとうのさようなら/栗本薫 (記・09.05.30) 浜名湖うなぎさんと栗本薫 中島梓・追悼ファンブックを刊行しています。 新刊は栗本薫とJUNE。(11.07.03)。通販サイトはこちら。 胸くそわりぃ。 栗本薫がついに死にくさりやがったってんで、追悼がわりに生前に絶賛していたコンビーブごはん、作ったんだが、胸焼けするくそまずさ。最悪だ。 米三合にコンビーフ三缶、バター、コンソメ、塩コショウで炊き込むって、馬鹿じゃなかろうか。三缶きちんと入れたのかって、入れるわけねーだろ。一缶入れた段階で、釜の中は阿鼻叫喚、見た目ほとんどゲロ。ふざけんなっての、俺を殺す気か。 色々と見なかったことにして炊き込んでみたが、台所に立ち込めるこのいやな脂の匂い。仕上がり釜を見て笑ったね。なんだよ、これ。全てが赤黒いでやんの。 飯は脂を吸ってくっさいは、残った赤肉はパッサパサで見た目は糸ミミズの
メディアミックス戦略の草分けである80年代のカドカワ映画の象徴であり、80年代アイドルとしてみても松田聖子・中森明菜と比肩する人気を得たのが薬師丸ひろ子だ。 78年のカドカワ映画「野生の証明」の鮮烈デビューからすでにアイドルとして一躍人気をえた彼女だったけれども、その後の主演映画は「翔んだカップル」「ねらわれた学園」と続き、「セーラー服と機関銃」の公開時にはその人気が頂点に達する。 「セーラー服と機関銃」の配収成績は角川映画のヒット作である「犬神家の一族」「人間の証明」を抜き22億円に達し、当時の歴代5位に入る爆発的なヒット、デビュー曲となった主題歌「セーラー服と機関銃」も売上86.5万枚で年間チャート2位という驚異的な記録をつくる。 その後も角川映画の盆・正月のメインのプログラムで彼女は活躍、その主演映画の主題歌を歌うという形で歌手業を続けていく。84年の「Wの悲劇」を最後に彼女は角川か
斉藤由貴 LIVE Premium meets Premium 2008 (2008.12.23/東京・浜離宮朝日ホール) 1. Ave Maria 2. プラハリアン ~子供部屋の宇宙~ 3. 自転車に乗って 4. 土曜日のタマネギ 5. 3年目 6. ひまわり~ひまわり(「いちご水のグラス」のメロディー Ver.)~ いちご水のグラス 7. 卒業(Vintage Ver.) 8. MAY (Vintage Ver.) 9. AXIA ~かなしいことり~(Vintage Ver.) 10. 夢の中へ(21C Ver.) 11. 12月のカレンダー 12. Winter Wonderland 13. Christmas Night 14. 予感 15. ケ・セラ・セラ 16. 家族の食卓 「やな家」ではじけて以来、にわかに歌手活動が増えてきた斉藤由貴。08年は春にパルコでライブを二回、さら
森田童子。本当に不思議な歌手だと思う。 「友人の自殺をきっかけに歌いはじめた」という彼女の伝説、これが本当なのかどうか、それは、定かではない。 ただ、彼女の歌には、そう思わせる説得力があった。 彼女の歌は、すべて葬送曲といっていい。 失われたものを、人を、時代を、彼女はただひたすらに思い、「おやすみ」と歌う、彼女はそういう歌手だ。 しかし、どんなに悲しくとも、弔いは終わり、残されたものは日常に戻るように、わたしたちは彼女の歌を、いつかとめなければならない。 私たちは、どんなに悲しみに暮れようとも、彼らと道連れになるわけには、いかないのだから。 彼女は、いつか歌を歌いやめなくてはならない。そういう歌手でもあったのだ、と、思う。 それは彼女が一番よく知っていたことだろう。 私たちのコンサートが不可能になっていく様を見て欲しいと思います。 そして、私たちの歌が消えてゆく様を見て欲しいと思います。
85年「C」でデビューし、80年代はアイドル女優兼歌手として、90年代は主にトレンディードラマで大活躍した中山美穂。 類稀な美貌とコケティッシュな演技、政治力の強い事務所のバックアップによって、芸能界をサバイブした。 そんな彼女が、ある時、インタビューでこんなことを言っていた。 「もし、歌手か女優か、と聞かれたら歌手だと言いたい」 その時既に、数々のテレビドラマに主演し、有名企業のCFに出演してきた彼女、パブリックイメージとしては、もう女優であった。しかし――いや、だからこそなのだろうか、わたしは歌手であると、彼女はそう言った。 そしてそれは決して間違いではない。彼女はまぎれもなく歌手でもあったのだ。 あまり知られていないことかもしれないが、アイドル歌手としてデビューして以来、結婚し夫とともにパリに移住するまでの十数年の間、彼女の歌手活動が途絶えたことは一度もなかった。 毎年のニューアルバ
【第1部】 1.そのキスがほしい 2.60th.Anniversary Club Soda 3.確信 4.A.C.B 5.銀の骨 6.すべてはこの夜に 7.銀河のロマンス 8.モナリザの微笑 9.青い鳥 10.シーサイド・バウンド 11.君だけに愛を 12.花・太陽・雨 13.君をのせて 14.許されない愛 15.あなたへの愛 16.追憶 17.コバルトの季節の中で 18.MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE (巴里にひとり) 19.おまえがパラダイス 20.6番目のユ・ウ・ウ・ツ 21.晴れのちBLUE BOY 22.Snow Blind 23.明星 24.風は知らない 25.ある青春 26.いくつかの場面 27.単純な永遠 28.届かない花々 29.つづくシアワセ 30.生きてたらシアワセ 31.green boy 32.俺たち最高 33.睡蓮 34
「日本のポップスは、西洋のポップスの模倣である」 こうした言説はいまだにある。西洋が本場であり、日本にあるのはニセモノ。日本のポップスなんてバッタモノ聞いて満足しているなんて、カッコ悪いよね。 ――かつて、この言葉は相当の力を持って日本の音楽界を呪縛した。 「はたして、そうなのかな?」 この音楽における鹿鳴館コンプレックスに疑問をもった者が、例えば筒美京平であり、松本隆であり、そして、Winkのプロジェクトに携わったものなのではないのかな、と私は思う。 Winkの楽曲の約半数は、洋楽のカバーでしめられている。しかしWinkの音楽は、西洋で流行っているものにあわせた猿真似でも、二番煎じでもないのだ。 まず、カバーした楽曲が実に多種多様。ヒットした年代も違うし、アーティストの傾向も様々、日本でよく知られているものもそうでないものも、ある。ロックもあるブラックもあるラテンも、ロシア民謡まである。
谷山浩子という歌手ほど不思議な立ち位置の歌手というのもそうはいないだろうな、とわたしは思う。 ヒット曲やベストセラーといったテレビで取り上げられるような取り立てたエポックもなく、谷山浩子という歌手を知らない人は世の中たくさんいるだろうし、とはいえ音楽誌などで取り上げられるような、そういった筋だけ通じる、マニアックなサブカル的メジャーというわけでもない。 いわゆる音楽マニアにでもなく、メディアの向こうのマスにでもなく、という変わったところで熱狂的に支持され、72年のデビュー以来今年で35周年、30枚以上のオリジナルアルバムを出している。 キャリアとリリース作品数だけでいうなら、自作自演系女性歌手でならばユーミンや中島みゆき、加藤登紀子、大貫妙子、矢野顕子らと十分比肩し、むしろそれ以上なのであり、 ベテランも大ベテランでしかも今なお創作意欲も衰え知らず、という凄い位置なのだが (芸歴でいうと五
年末である。 この曲の批判をするというのなら、今の時期を逃したらないであろう。 ということで、今年最大のヒット曲、SMAPの歌った「世界にひとつだけの花」を今更ながら、批判する。 しかし、この曲、凄い。 年末のあらゆる歌番組などで歌われていて、チャート的にもまたまた年末にむけて上昇気流に乗り、今週のオリコンでは第七位をマークしている。 そして、なんと今年の紅白で大トリに、という話も出てきた。 売上げも200万枚を優に越し、完全にSMAPのファン層を超え、歌だけが一人歩きしている。 「泳げたいやきくん」や「おどるポンポコリン」などの何年かに一度出るお化けソングとなってしまった。 が、この曲私はあまり好ましく、思っていない。 というか、大っきらいだ。 別にSMAPを擁護するつもりはさらさらないが、歌う彼らにはなんの文句もない。 彼らに言うことは、ただ、こうした歌を歌うとやっぱりSMAPってちょ
谷山浩子 猫森集会 2007 Aプログラム 「由貴ちゃんとにんじんポテト」 (2006.9.16/全労済ホール スペースゼロ) 1.放課後 2.まっくら森の歌 3.テルーの歌 4.空の駅 5.パラソル天動説 6.よその子 7.プラハリアン ~子供部屋の地球~ 8.情熱 9.May 10.土曜日のタマネギ 11.ブルーサブマリン 12.悪魔の絵本の歌 13.そっくり人形展覧会 14.朗読 ~ アトカタモナイノ国 15.SEAGULL 16.ドッペル玄関 17.恋するニワトリ Vo,Pf:谷山浩子 Key:石井AQ Vo:斉藤由貴(Guest) ※ 記憶に頼ったライブレポートなので、実際のそれとは若干の違う部分があると思います。特にトーク部分とか。ニュアンスで伝わればな、と。 さてさて。今年で6回目、谷山浩子、秋のスペシャルライブ「猫森集会」。今年は谷山浩子の芸能活動35周年を記念して、猫
音楽的な面で彼女を見てみると、80年代に「岩崎宏美」の枠の一方を担っていたのが、薬師丸ひろ子だったのではないかなあ、と私は思ったりする。 もちろん、河合奈保子のようにわかりやすい後継者という役割は果たしていないけれども、朗々とした合唱団的歌唱法がベースにあるところとか、近いんじゃないかなぁ、と。 ま、岩崎ほど声量もなく、音程も磐石ではないけれども、それでも当時のアイドルポップス界ではわかりやすい正当派な上手さを持っていたと思うんだよね。彼女って。 (―――ちなみに「野性の証明」のオーディションで薬師丸が歌ったのは岩崎宏美の「思秋期」) 岩崎宏美にただようある種の野暮ったさを洗練して鋭くさせると薬師丸ひろ子の歌になる、と私は勝手に解釈している。 薬師丸ひろ子の歌には、刃先のきらめきのような危うさと怜悧さ、光輝がある。 それがたまらなくよくって、いまだに時々ディスクをトレイに乗せては聞き入って
薬師丸ひろ子「Woman ―Wの悲劇より」 そこはかとなく漂う死の匂い (1984.10.24/WTP-17660/東芝EMI) そういえば、84年末のヒットチャートは面白かったね――。 まず、安全地帯「恋の予感」に明菜の「飾りじゃないのよ涙は」のヒット、さらにその2つを手がけた井上陽水の「いっそセレナーデ」が本人久しぶりのシングルヒットでランキング2、3、4位が陽水作品なんて事態が発生。ちなみに1位はチェッカーズの「ジュリアに傷心」。 また西城秀樹「抱きしめてジルバ」、郷ひろみ「どこまでアバンチュール/ケアレスウィスパー」、河合奈保子「北駅のソリチュード」(作曲筒美京平)とケアレス・ウィスパー合戦勃発。 ちなみにこの闘い、ランキングでは河合奈保子、総売上では西城秀樹に軍配が上がった。 また松本隆に目を向けると、松田聖子は佐野元春作曲の「ハートのイヤリング」で虚飾が恋の破局へと向かう、第一
西炯子、新たな旅立ちの予感 (「STAY ああ今年の夏も何もなかったわ」/03.03.20/小学館) (「STAY プラス お手々つないで」/03.10.20/小学館) まず、タイトルが良い。 「ああ 今年の夏も なにもなかったわ」 まったく飾り気のない、たったこれだけの言葉で、高校時代のどこにでもある、ありていなそれぞれの「なにもない夏(=誰しもの心のなかにある若き日の夏)」というものが実感として見えてくる。 その陽射しや湿気や、そのたもろもろのことまで、ぶわっと、甦る。 ―――と書いたところで、あれ、そういえばこの言葉どっかで聞いたことあるな。 と調べる。 ……。 ……。 ……あっ、モリタカだ。 森高千里の「Sweet Candy」だ。 森高は「南風が街を通り抜けてく 今年の夏も ああ なにもしなかったわ」 と歌っている。 いいところから引っ張ってきたものだ。 森高の詞の良さは「身も蓋
メイン・インデックス>雑記>トイレットペーパー・パニックって一体なんだったのさ ~73年、石油危機騒動に関するひとつの妄想的考察~ ―――なにゆえ、トイレットペーパー―― 世の中にはいろんなよくわからない出来事が多々あるけれども、その中のひとつで一体なんだったのだろうといくら考えても考えても全く理解できないのが、73年のオイルショックに伴うトイレットペーパー・パニック。 第4次中東戦争が起こりました。アラブの産油国が石油生産の削減と原油価格の大幅引き上げを行いました。日本は石油の備蓄がなかったので大変です。ここまではわかる。で、なんでそこで、トイレットペーパーを買い漁るのよ。 ガソリンとか灯油とか、石油から生まれたプラスチック製品とかを買い漁るならよくわかる。ある意味理にかなっている。 それがなんでよりによって「トイレットペーパー」なのよ。 だってトイレットペーパーってせんじつめれば「紙
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『まこりんのわがままなご意見』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く