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モノロゴス: 神について
随分前に、寄筆さんたちの会合に出席したことがありました。その席で「哲学とは何か」と訊かれたので、... 随分前に、寄筆さんたちの会合に出席したことがありました。その席で「哲学とは何か」と訊かれたので、私は「神について考へる学問だ」と答へました。寄筆さんたちにはやはり南郷継正氏の言ふ「哲学」概念が頭にあったやうで、変な顔をされた記憶があります(今にして思へば、わざわざ三浦つとむつながりで行ったのですから、もう少し聴き手に合はせた答へ方ができたのではないかと悔やまれるのですが)。 哲学が神について考へる学問だといふのは、私自身の観方を述べたもので、別に人に押し付けられるやうなものでもありません。また、三浦つとむ先生がこのやうなことを言ってゐるわけでもありません(「神がかり哲学」なんて言ひ方をされてはゐますが)。 なぜそんな観方になるのか、或いは私がよく言ふ「神」とは何のことなのか、少し前提を遡って書いてみたいと思ひます。 私が「哲学」する動機は主に二つあります。ひとつは私といふ意識がいづれは消滅