エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
青年
森鴎外 壱 小泉純一は芝日蔭町(しばひかげちょう)の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問う... 森鴎外 壱 小泉純一は芝日蔭町(しばひかげちょう)の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場(ていりゅうば)から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町(すだちょう)の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分(おいわけ)から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現(ねづごんげん)の表坂上にある袖浦館(そでうらかん)という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。 此処(ここ)は道が丁字路になっている。権現前から登って来る道が、自分の辿(たど)って来た道を鉛直に切る処(ところ)に袖浦館はある。木材にペンキを塗った、マッチの箱のような擬西洋造(まがいせいようづくり)である。入口(いりくち)の鴨居(かもい)の上に、木札が沢山並べて嵌(は)めてある。それに下宿人の姓名が書いてある。 純一は立ち留まって名前を読んで見た。自分の捜す大石狷