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「ヨーロッパ文化」講義録 vol.12
(1) イタリア未来派 1909年2月、フランス語が達者だったマリネッティは、フランスの大新聞「ル・フィガ... (1) イタリア未来派 1909年2月、フランス語が達者だったマリネッティは、フランスの大新聞「ル・フィガロ」の一面に、『未来派宣言』を発表する。新聞社側も時代の先を読み、宣言をセンセーショナルな社会現象の記事として扱った。というのもイタリア未来派が自分たちの信条の具体的なトレードマークとして車を持ちだしたからである。速度の美学がうち立てられたのだ。 写真:イタリア未来派 1899年に「自動車」のスピードが100km/hを超えた。それからラリーが始まり、1903年にパリ~マドリード間ラリーで初めて105km/hが出て、自動車が一番早い乗り物であることが証明される。マリネッティの宣言が行われる1909年には、フランス人が200km/hの速度を記録した。(以上、塚原史『言葉のアヴァンギャルド』講談社現代新書に拠る) 「宣言」は、「我々は歌うだろう。・・・煙を吐く蛇をのみこむ貪欲な鉄道の駅を」