エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
小野田寛郎(1922-)
先日取り上げた横井庄一軍曹の場合は、ひたすら救出を待っていたのですが小野田少尉の場合は30年間、... 先日取り上げた横井庄一軍曹の場合は、ひたすら救出を待っていたのですが小野田少尉の場合は30年間、ずっと戦争を続けていました。 小野田氏は1922年3月19日和歌山県海南市生まれ。中国で商社マンをしていましたが招集後、陸軍中野学校でゲリラ戦の訓練を受けたあと、1944年フィリピンに派遣され、ルバング島で残置諜者となるよう命令を受けました。しかし戦争が終わった後、彼らに任務終了の命令が届きませんでした。 当初のメンバーは4名。小野田と、島田伍長、小塚上等兵、赤津一等兵です。このうち1949年、赤津一等兵が投降したことにより、このグループの存在が明らかになりました。しかしなかなかその所在をつかむことはできませんでした。 1952年、朝日新聞の辻豊記者が「戦争は終わりました。出てきてください」と叫びながらジャングルの中を歩き回りますが、小野田らは米軍の謀略ではないかと考え、出ていきませんでした。