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フランク・キャプラ 〜群衆という名の凶器〜 - 花の絵
フランク・キャプラはアメリカの良心を描き続けた監督といわれる。その楽天的なヒューマニズム、堂々と... フランク・キャプラはアメリカの良心を描き続けた監督といわれる。その楽天的なヒューマニズム、堂々と謳われる正義に、希望や勇気をもらった人は多いことだろう。キャプラの映画では物欲にまみれた金持ちは否定され、貧しい人々の方が心豊かな存在として描かれる。どんな巨悪も小さな正義の前で敗北する。しかし、それが絵空事にしか見えなくなった時、人はキャプラ作品を「卒業」する。そして、全くもって現実離れしたおとぎ話だと否定するようになる。 そもそもキャプラはアメリカの良心を描いた人なのだろうか。私は疑問に思う。たしかに『狂乱のアメリカ』でも『オペラハット』でも『スミス都へ行く』でも『群衆』でも、主人公は絶体絶命の危機に追い込まれながら、最後は良心や絆や愛によって救われる。ただ、この救いがなければ、つまり、トム・ディクソンが拳銃自殺をし、ディーズが精神病院に送り込まれ、スミスが汚職議員として処分され、ジョンが投
2022/03/28 リンク