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1991年1月 浦上進君と日本テレネット::Colorful Pieces of Game
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1991年1月 浦上進君と日本テレネット::Colorful Pieces of Game
1991年1月、天外2はいよいよ、実際の開発作業に入るための最終準備段階に入っていた。 実際の作業は市... 1991年1月、天外2はいよいよ、実際の開発作業に入るための最終準備段階に入っていた。 実際の作業は市ヶ谷の角川メディアオフィスが入っていたビルの裏にある貸しビルの2F(今でもあったので写真を載せておく)に開発チームが集まって、行われることになっていた。つまりアルファシステムやハドソン北海道の連中からすると、長期出張ってことになる。これは天外2クラスになると、毎月広報などがあるうえに、広井さんも桝田さんも忙しくなっていて、北海道に長期開発チームが集まるのが難しかったのが理由として一番大きかった。 とはいっても新年そうそうだったので、借りた事務所にチームは集まっていなかったが、僕は開発機やらいろいろなもののレイアウト計画やらハードの準備があり、加えて、当然桝田さんや山根との打ち合わせもあったので、それに忙殺されていた。 開発チームのやり方は、ハドソンで覚えた、学校の倉庫などに良く置いてあるス