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LED訴訟決着から10年、いまだ「しこり」消えず 古巣の日亜化学工業は「中村氏個人の開発技術だけではない」
青色発光ダイオード(LED)の開発者、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)のノーベ... 青色発光ダイオード(LED)の開発者、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)のノーベル物理学賞受賞を受け、かつての勤務先である日亜化学工業(徳島県)がコメントを発表した。 発明対価をめぐる訴訟にも発展した「古巣」からのお祝いメッセージは、「大変喜ばしい」とする一方で、開発における社全体の貢献を強調するものだった。 和解後も両者不満「対価は過大」「日本の司法は腐ってる」 中村氏は1979年に日亜化学工業に技術者として入社した。半導体の開発に10年間携わった後、辞職を覚悟で当時の社長だった小川信雄氏(故人)に青色LEDの開発を直談判し、開発費の支出と米国留学の許可を取り付けた。「窒化ガリウム」という素材に注目して、青色LEDの製造装置に関する技術開発に成功。実用化につなげた。 日亜は1993年に世界で初めて青色LEDの製品化を発表、業績を伸ばすこととなったが、当時中村氏が受け
2014/10/10 リンク