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日本の駆逐艦:朝潮型
計画経緯 本型は、「吹雪型」の真の後継艦として計画され、後の甲型駆逐艦(「陽炎型」「夕雲型」)の基... 計画経緯 本型は、「吹雪型」の真の後継艦として計画され、後の甲型駆逐艦(「陽炎型」「夕雲型」)の基礎となった駆逐艦です。 1922年(大正11年)、ワシントン軍縮条約によって、主力艦の保有数を対米6割に抑え込まれた日本海軍は、米太平洋艦隊の迎撃作戦に抜本的な見直しを迫られることになりました。 そして導き出された解答の一つが、水雷戦隊による襲撃です。 軍令部は、この襲撃任務を満足することのできる、艦隊型駆逐艦の整備に躍起になりました。 日本の駆逐艦に求められる能力は、この軍令部の要求から察することが出来ます。 それは、決戦場と予想される内南洋まで独力で進出しうる強靭な耐波性と、敵主力艦に対する襲撃を有効ならしめる重雷装でした。 この要求を具現化した「吹雪型」駆逐艦は、極めて優秀な成績を修め、しかしそれ故に、列強に新たな軍縮条約の必要性を感じさせてしまいます。 この結果、1930年(昭和5年)