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歴史地名ジャーナル:ジャパンナレッジ
国東(くにさき)半島と佐賀関半島との間にある別府湾は瀬戸内海の西端にあたり、別名を萏(かんたん)... 国東(くにさき)半島と佐賀関半島との間にある別府湾は瀬戸内海の西端にあたり、別名を萏(かんたん)湾―つまり蓮の花の開きかけた形と称されるようにU字形に湾入している。湾の南西岸にサルの生息地として有名な高崎山があり、東方を北流する祓(はらい)川が湾に注ぐ、その河口に生石浜がある。祓川の上流、高崎山の南東麓に鎮座する柞原(ゆすはら)八幡宮は豊後一宮として知られ、古くは由原宮・賀来(かく)社とも称された。同宮に伝わる正応二年(一二八九)三月の大宮司経妙申状案によると、天長四年(八二七)比叡山延暦寺の僧金亀が宇佐宮に一千日参籠し、同七年三月三日八幡神が豊後国に垂迹するとの示現を得た。七月七日には八足の白幡が宇佐宮から飛来、のち右大臣清原夏野が仁明天皇の勅を奉じ、承和三年(八三六)豊後国司大江宇久に命じて社殿を造立したという。柞原八幡宮で行なわれてきた神事斎会のうち、最大の神事は放生会であった。放生