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Archive6淡路島戦没学生記念館
Archive 6. 学生は死に、三菱は残った――淡路島南端のスリーダイヤ―― (三菱重工反戦一株主会機関紙『のろ... Archive 6. 学生は死に、三菱は残った――淡路島南端のスリーダイヤ―― (三菱重工反戦一株主会機関紙『のろし』1972年4月1日号)(04/04/24に転載) かつて、愛知県瀬戸市にある名古屋学院大学で、短い期間でしたが、講師を務めていたことがあり、かなり特殊な事情からですが、非常勤講師なのに卒論まで担当するゼミナールも受持つことになり、でミニコミ論をやっていたことがありました。その時(1972年)のゼミ合宿で、淡路島にいったとき、偶然知った「戦没学徒記念若人の広場」という施設を訪問しました。そのときの文章です。 学生は死に、三菱は残った ――淡路島南端のスリーダイヤ―― 淡路島の南端、渦潮で有名な鳴門海峡をはさんで四国を目と鼻の先に見る福良の町の岬の上に、立派な建物の国民休暇村がある。今年(1972年)卒業する学生が、最後の合宿をここでやりたいというので、ゼミナールの学生諸君十数