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神戸新聞|社会|平安人は勉強家? 九九を何度も練習 豊岡の木簡
九九が書かれた木簡(赤外線撮影)。下部に「三九廿四(さんくにじゅうし)」という計算間違いがある=... 九九が書かれた木簡(赤外線撮影)。下部に「三九廿四(さんくにじゅうし)」という計算間違いがある=奈良文化財研究所提供。右の図は解読された文字の一部 兵庫県豊岡市日高町の祢布ケ森遺跡で大量出土した木簡の中には、九九の練習で計算間違いをしているものがあった。調査した豊岡市教委は「当時の官吏の人間味が感じられる」と話している。 木簡は勉強するとき、現代のノートのようにも使用していたという。間違いが見つかった木簡は長さ三一・六センチ、幅二・九センチの細長い形で、裏面に九九を記していた。 現代とは逆に大きい数の九九から始め、六九から四九までを飛ばした後、「三九廿四(さんくにじゅうし)」と間違えている。 見つかった二百三点の大半は、この木簡のように文字や計算を練習した跡だった。 表面を削って再利用できるが、木片も多く確認されており、繰り返し勉強した様子がうかがえる。 九九が書かれた同時期の木簡は他にも
2008/06/25 リンク