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超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人
フロイトは第一次大戦後の一九二〇年に『快感原則の彼岸』を書き、そこで「死の欲動」という概念を提示... フロイトは第一次大戦後の一九二〇年に『快感原則の彼岸』を書き、そこで「死の欲動」という概念を提示した。その後、一九二三年に「自我とエス」という論文で、超自我という概念を提示した。これに該当する概念は以前からあった。『夢判断』(一九〇〇年)でいえば、夢の「検閲官」である。それは、親を通して子供に内面化される社会的な規範のようなものであった。しかし、「自我とエス」という論文で明確にされた「超自我」は、それとは異質である。検閲官が他律的であるのに対して、超自我はいわば自律的、自己規制的なのである。 こうした自律的能動性は、『快感原則の彼岸』では、外出した母親に置き去りにされた幼児が母親の不在という苦痛を反復的に再現して遊びに変えてしまう例においても示されている。この例はすでに自律的な超自我の働きを暗示するものだ。しかし、超自我のこうした性質は何よりも、「ユーモア」という論文(一九二八年)において
2014/08/14 リンク