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小寺謙吉(1877―1949)
金持ちのお坊ちゃまとしての前半生 前述した小寺泰次郎の長男であり、三田学園の創設者でもある小寺謙吉... 金持ちのお坊ちゃまとしての前半生 前述した小寺泰次郎の長男であり、三田学園の創設者でもある小寺謙吉は、 1877年(明治十年)四月十四日、神戸市生田区(今の中央区)の小寺邸 (現在の相楽園)に生を享(う)けた。 謙吉の名付け親は白州退蔵である。退蔵は小寺泰次郎に、『君のように意地 っぱりでは困るから、少しは人の言うことを謙虚に受け入れるような名にする のがよかろう。』と語って謙吉という名を付けたのだという。 1894年(明治二十七年)に兵庫県立神戸商業学校(当時唯一の中学。 神戸一中(現神戸高校)は明治二十九年の創立。)を卒業後、上京して杉浦 重剛(1855―1924、教育家、国粋主義的道徳観を鼓吹。)の称好塾で 学んでいる。この塾は、英国パブリックスクールに範を採り、全寮制で生徒 たちは毎日寝食を共にしていた。 その後、泰次郎の先見性によるものと思われるが、1897年(明治三十年) 米国