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城主の名前に福岡新助と森長可の名前が!長久手市の大草城
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城主の名前に福岡新助と森長可の名前が!長久手市の大草城
愛知県長久手市の大草城は、城主に福岡新助と森長可の名前が残るお城です。 歴史 【尾張志】によると、... 愛知県長久手市の大草城は、城主に福岡新助と森長可の名前が残るお城です。 歴史 【尾張志】によると、まず城主の名前に福岡新助という人物がありますが、この人がどんな人だったのかは分かっていませんが、ひとつ気になる事があります。 現在の長久手市前熊橋ノ本にある前熊寺は、天文年間(1532~1555)に創建されたと伝わりますが、その境内に、この地の郷士・福岡太郎右衛門の屋敷があったといわれています。 これが福岡屋敷なのですが、この福岡さんと大草城主の福岡新助が同じ苗字だし、距離的にも近いので、もしかすると何か関係があったのかもしれません。 さて、1563年頃には岩崎城の丹羽氏の所領となり、天正七年(1579)には森武蔵守長可の所領となっています。 しかし長可は天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦で亡くなっており、その後の大草城の記録も途絶えている事から、合戦後に廃城になったと考えられます。