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禅語「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト
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禅語「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト
中国晩唐の詩人に杜筍鶴(とじゅんかく)がいますが、その詩の「夏日、悟空上人の院に題す」というのが元... 中国晩唐の詩人に杜筍鶴(とじゅんかく)がいますが、その詩の「夏日、悟空上人の院に題す」というのが元の句です。 三伏門(さんぷくもん)を閉(とざ)して一衲(いちのう)を披す 兼(か)ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(おお)う無し 安禅(あんぜん)は必ずしも山水を須(もち)いず 心中を滅得(めつとく)すれば火も自(おの)ずから涼し ――夏の暑いまっさかりに、悟空上人という方は相変わらず一枚の破れ衣をキチンと身に着けて坐禅をしておられます。しかも炎熱を避ける一株の 松も一本の竹もない、まったくの炎天下と同様です。この方を見ていると、坐禅をするのに静かな山中か水辺に居を求める必要はなさそうです。上人のように心頭を滅却し寒熱を超越された方は、暑さに心を煩(わずら)わされることもなく、炎熱もまた楽しといった様子です――。 この句の下二句を、特に持ちきたったものです。しかし、この語を特に有名にしたのは、山