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『童夢』の運動表現 The expression of movement in "DO-MU" 2
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『童夢』の運動表現 The expression of movement in "DO-MU" 2
□2 コマ単体での運動表現 2-1 動線の成り立ち 次に動線の問題について考えたい。動線とは、コマを構成... □2 コマ単体での運動表現 2-1 動線の成り立ち 次に動線の問題について考えたい。動線とは、コマを構成する必要が無い運動表現である。ここでは動線に限らず、コマ単体の絵で運動を表現するものを挙げていきたい。 コマ単体の絵ということならば、「空間的芸術」といわれる絵画分野の手法から考えるとよいだろう。絵画では、古典的な運動表現として運動の「特権的な瞬間」(註17)として切りだす方法論があるが、これこそが「空間的芸術」といわれる所以であろう。 その後、二十世紀初頭、例えば呉の指摘したように(註18)、未来派の宣言に拠る運動表現がある。ジャコモ・バッラ(Giacomo Balla)など、残像を描くことで連続する運動を達成しようとする試みがなされた。また、デュシャン(Marcel Duchamp)の『階段を降りる裸体 NO.2』では、主に残像効果を中心に表現されているが、残像表現が単純化、記