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東京新聞:天皇陛下は、皇太子であった一九七五年の夏、初めて沖縄を訪問…:社説・コラム(TOKYO Web)
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東京新聞:天皇陛下は、皇太子であった一九七五年の夏、初めて沖縄を訪問…:社説・コラム(TOKYO Web)
天皇陛下は、皇太子であった一九七五年の夏、初めて沖縄を訪問された。沖縄国際海洋博を訪れるためであ... 天皇陛下は、皇太子であった一九七五年の夏、初めて沖縄を訪問された。沖縄国際海洋博を訪れるためであったが、同時に戦跡に足を運ぶことを強く望まれた▼宮内庁は反対した。悩んだご様子の陛下は、凄惨(せいさん)な沖縄戦を自ら体験した沖縄学の泰斗・外間守善(ほかましゅぜん)さんを招いて、話を聞かれた。訪沖の前夜、外間さんが「何が起こるかわかりませんから、ぜひ用心してください」と言うと、陛下は静かに答えられたという。「何が起きても、受けます」▼危惧は現実となり、「ひめゆりの塔」で火炎瓶が投げられる事件が起きた。しかし陛下は予定を変えずに草木が生い茂る戦跡をめぐり、祈りを捧げ続けた。そうして、琉歌(りゅうか)を詠まれた。<ふさかいゆる木草 めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて>▼くり返し返し、戦跡や被災地に足を運び、命を奪われた人々に祈りを捧げ、愛する人を失った人々の悲しみに寄り添い続ける。それはどれほど