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「東大寺を戦乱に巻き込むな」…信長の書状発見 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が調査し、明らかにした。 天正元年(1573年)9月の書状で、「... 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)が調査し、明らかにした。 天正元年(1573年)9月の書状で、「当寺濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)・陣取り・放火の事、堅く停止(ちょうじ)せしめおわんぬ」と、東大寺を戦乱に巻き込むことを禁じ、反する者に厳罰を科すとしている。「天下布武」の印も押されている。筆跡などから、実際に書いたのは秘書役の家臣だったようだ。 信長は当時、室町幕府を滅亡させた直後。大和(奈良県)を勢力下に収める武将、松永久秀とも敵対していた。不穏な情勢下、6年前に久秀と畿内で対立する三好氏との戦いで大仏殿を焼かれた東大寺は、再び戦火が及ぶのを恐れ、保護を期待していたとみられる。
2014/12/13 リンク